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「色彩と元型の研究」展

ギャラリー白  2015.11.16-21 

制作に蛍光顔料を多用します。
あたかもそのものが光り輝くように見えるのは、
蛍光色の物体に光があたったとき、その光のうち紫外域の光線や紫や青い波長域の光線が吸収されて、
別の可視域で放出されるからです。

人工的な色です。
無意識に使用していた蛍光色に着目すると、そのような人工的な色彩から、不健康、浅はかさ、悲しみ、
非永続性、毒・・・を感じていることに気づきました。

個人的無意識です。
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にがいだけのジェリービーンズ。
オレンジの味がしないオレンジジュース。
花屋で色水を飲まされているスイトピー。
凍えるような寒さのなかでも咲き続けるように改良されたパンジー。
個人的無意識を意識の表層に目を向けるとこのように翻訳されます。
ただ、このような浅はかで、非永続的な世の中を享受することに魅力を感じている自分がいます。
小さな自分の世界で個人的無意識を見つめる作業としての制作に、さらに可能性を与えるとすれば、
その深部に存在する集合的無意識に思いをはせることも興味深いと思いました。

「表象可能性の遺産として、個人的ではなく、人類に、むしろ動物にさえ普遍的なもので、個人のこころの真の基礎である」
「人間の普遍的無意識の内容の表現のなかに、共通した基本的な型を見出すことができると考え、
ユングはそれを「元型」と呼んだ。」
「・・・つまり、われわれ人間の知的なレベルではなく、もっと深いレベルにおいて、原始的な心性に通じる、
表象の可能性が存在し、それらを、ある程度、類型的に把握することが可能である・・・」

われわれが毎日を生きるうえで、「神話」や「信仰の対象」のとらえ方が多様化し、
ユングの生きた時代でいう「普遍性」の対象が、そのまま現代に当てはまるかは少し修正が必要かもしれませんが、それが何らかの視覚的イメージに昇華したとしても、
現代における「元型」を可視化したものに他ならないのかもしれません。

今回の展覧会にあたり、人の意識や無意識の領域にチャレンジする意図はありません。
魅力を感じるこの人工的に光り輝く色彩を、ただ自分だけのために研究してみました。

※河合隼雄 「ユング心理学入門」参照


色彩について

━━━蛍光色
蛍光色の物を見ると、光源でもないのに、あたかもその物が輝いているかのように見えますね。
蛍光色の物体に光があたったとき、その光のうち紫外域の光線や紫や青い波長域の光線が吸収されて、別の可視域で放出されます。可視光線とは、380nm~780nmの電磁波です。例えば、蛍光増白のように360nmの電磁波が吸収され、420nmで放出されるとき、420nmの反射率の測定値が100%を超えてしまう場合があります。このとき人の目には、そのものが輝いているように見えるのです。

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  • [ Konica Minolta 色色雑学 online:03.html]

━━━
1930年代に発明されたという色、蛍光色。太古の昔から自然にあった色ではありません。
人は可視光線のなかに生きてきました。太古の天然顔料は土、鉱物、生物由来のものでした。

私が蛍光色から連想するのは「ケミカル」「浅はか」「人工」などの言葉です。

たとえば私たちの身近にあるのは、蛍光増白剤入り洗濯洗剤。洗いあがりの白さを際立たせるための添加物です。

もとになるもの

元型、集合的無意識の存在

人間の普遍的無意識の内容の表現のなかに、共通した基本的な型を見出すことができると考え、ユングは、それを元型と呼んだ。

・・・全人類に普遍的に認められるモチーフを、ユングが元型と呼んだとも考えられる。つまり、われわれ人間の知的なレベルではなく、もっと深いレベルにおいて、原始的な心性に通じる、表象の可能性が存在し、それらを、ある程度、類型的に把握することが可能である・・・

・・・元型とはむしろ、人間が生来もっている「行動の様式」(pattern of behavior)というべきである。
あるいは、古来からの遺産としてみるならば、遺伝された理念とか心象とかではなく、そのような表象の「可能性」である。
つまり、昇る太陽を見たときに、それをそのまま太陽としてみるよりは、「神」として把握しようとする様式が人間の心の内部に存在していると考え、そのような把握の可能性としての元型を考えるのである。


・・・その効果こそが、さきほどから神話を例にあげて述べているような、原始心象なのである。
実際、元型は、その姿を隠喩(metaphor)によってのみ、われわれに示すものといってよいだろう。
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以上、「ユング心理学入門」より抜粋
※普遍的無意識=集合的無意識
2015.7.9


普遍的無意識は集合的無意識と同等

━━━Twinsによせて・・・

  • -私たちは木々のおかげで風の向きや強さを教えてもらうことができる。木々はなぜごくかすかな風でも揺れるようにつくられているのだろうか。-「和暦日々是好日」より
  • 目を奪われたものに自分の感情を投影し表現することを最近のテーマとしていますが、いまは人を想います。
  • 木のそよぎで風を教わることができるように、私は日常に出会うものに人を想います。
  • 季節の空気の変化、野辺の花や木の実の色、古都の風景、蝶がひらひら描く曲線。
  • Twinsのかたわれは私自身です。
  • 2014

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━━━どこへ向かうのか。
私はここ数年、花や木や風景や心惹かれる色彩や造形を感覚的に画面上に置いていくという作業をしてきた。
それも、画面上にレイアーを作るように、脳裏に浮かんだ像を描いた上から塗り重ねたり、
ドローイングをして層にしていく。
私はこれを「イメージの集積」と呼んでいる。
私はこの「イメージの集積」の作業で、画面上に木や花や風景そのものの再構築をはかり、
自分なりのその対象物の本質を知りたいと思っている。

近年、木や花や風景そのものを追いかけて描き続けるなかで、
「対象物と私」という関係性をさらに重要視するようになった。
たとえば、以前は泳ぐ熱帯魚そのものだけからのイメージに頼っていたのだが、
今は、私と熱帯魚の間には水という大きな存在があるという事実を意識して描いている。

同様にして、空が青いこと、葉っぱが緑だということなど、あたりまえに「美しい」とだけ思っていた対象物に
対しても、私との間には、光や大気やその中に存在する分子、原子におけるまでさまざまなものの相互作用
が存在することを発見するとともに、意識の上にのせて描くようにしている。

「対象物とわたし」という関係性を発見し、意識的に感覚の上にのせて描くことで、
以前より対象物へのまなざしに深みが出たと思っている。

そして同時に、「対象物と私」を意識すればするほど、今度は描く過程において
ますます自分の感情が対象物に投影されるようになってきた。

「この色はこういう意味もあってほしい」
「この形はもっと直接的なシグナルがあってほしい」

以前は対象物が私の心に投影されていただけだったのだが、
今では双方が投影し、投影され、コミュニケーションしている感覚で描いている。
2012